高知訪問

2009年10月

/ 10月23日、都城への帰省の途中で寄り道をして高知県の中村(四万十市)を訪ねた。会社勤めをしていた時の同期生であるDさんを、実に27年ぶりに訪問したのである。尤も9年前に東京で同期会の時、会っていたようだ。(Dさんに指摘されて思い出した。)前回は車に4人乗って、大阪南港からフェリーで高知港に上陸し、中村へと足を進めたのであった。足摺岬への曲がりくねった細い道の記憶が残っている。海で泳いだ記憶があるので、夏休みの時で、Dさんの初めてのお子さんが生まれた年であった。
 今回は一人高知龍馬空港に降りてバスで高知に入り、高知駅から電車で中村に向かった。人の名前を冠している空港は珍しい、それだけ観光に力をいれているということか。高知駅はホームが二つしかないのに、最近新装なったのか、随分立派な駅だった。JRの特急に乗って2時間弱、夕方暮れ泥む中村に到着。教師をしているDさんは当日文化祭があり、駅で待つことになるかも知れないということだったが、改札口で出迎えてくれた。一見して、髪も体型も以前と全く変らず、驚いたほどである。
 四万十市役所の近くで、夕食をご馳走になった。中村は土佐の小京都と呼ばれ、道路が碁盤の目状になっているという。応仁の乱の時、都から一条家の者が逃れて来て拓かれたそうである。Dさんは会社時代には営業技術の仕事をしていた。郷里の近くでの勤務を望んでいたが、無理そうなので、5年3ヶ月で辞めて、高知県の教師の採用試験を受けたという。会社での経験は随分役に立ったそうだ。教師になってから、同じく教師であった奥さんと結婚し、3人のお子さんに恵まれた。上の2人は教師となり、3番目は来年大学を卒業とのこと。苦労もあっただろうと推察するが、子供のいない私にとっては羨ましいことである。定年まで1年半程、その後どうするか思案中とのこと。
 その晩はお宅に泊めて貰って、翌朝、趣味で集めている化石を見せてもらった。三葉虫の化石もあり、1年に1個は増えているそうだ。その後、四万十川を案内して頂いた。日本の名だたる清流ということは知っていたが、下流でも山に囲まれた景色の素晴らしい川である。川沿いに道のある奥多摩に似ていると思ったが、もっと川幅が広く、深い谷があるわけではない。楽に川原に下りることができる。何といってもその特徴は(初めて耳にする)「沈下橋」が多いことであろう。普段は渡れる橋だが、増水した時には沈んでしまう橋のことである。そのため欄干がない。地元ではその橋から飛び降りることが出来れば、男として一人前と見て貰えるそうだ。口屋内大橋から沈下橋を望む景色は素晴らしいが、それにも増して増水した時は壮観であろうと想像する。四万十川は本々は「渡川」であるというのも初めて知った。素晴らしいことにどこに行っても人がいない。写真を撮って貰う人がいないのである。津野川のいわき食堂で昼食。あゆ料理を四万十川を眼下に美味しく頂いた。Dさんはこの辺りまで、車で1時間弱かけて通勤したこともあるそうだ。
 帰りは道路工事の通行止の時間帯を避けるべく急いで引き返した。奥さんに別れを告げて、Dさんに宿毛港まで送って貰った。午後3時の佐伯行きのフェリーに乗るのである。27年前も同じコースを採った。その時は4人で、娘がまだ小学校に入る前であった。その娘はもういないが、その時の場景、風景を少し思い出すことができた。良い旅であったと思う。懐かしいDさんに会うことができたし、四万十川についてのイメージが少しできてきたかなと思う。丸一日もお世話になったDさんと奥さんに感謝、神さまに感謝です。

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